「サッカーで高田を元気に!」
7月20日、参議院選挙の前日、高田市内にできた仮設のグラウンドで、震災後交流が深まった現地の方々と慶応義塾大学サッカーOBによる、3・11メモリアル交流試合が開催されました。
ホスピスの会には、ドリンクや果物などのボランティアサポートの依頼があり参加しました。
4ケ月ぶりの高田は、市内の公共の施設が解体され、いつもボランティア前にお参りする市役所跡はすっかりさら地になり自分がどこにいるのか見失うほどです。
いつも、ボランティアのお世話をして頂く、菊池さんに市内でお参りできる所は残っていますか?と尋ねると。息子(25歳)と一緒に亡くなった消防団員をまつった所を教えて頂き足を運びました。
小さなほこらの中には、その地区で津波にのまれ亡くなった11人の名前が一枚一枚の小さな木の札に記されているのを見ただけでこみあげてくるものがありました。ボランティアみんなで線香に火をつけ手を合わせていると、そこを管理しているお茶屋さんの方が声をかけてきました。「みんな地元の長男ばかりです。家を継ぎ、地域を支えていた、高田のこれからの世代を亡くしてしまいました。まだ、みつからない人も多くいる中で、11人は家族のもとへ帰ることができました。」
私たちは、そんな出来事があった土の上に今いる。
サッカーの交流試合は、50代のOB。はた目から見れば、サッカーを楽しむおじさん達。しかし、胸の中の思いは穏やかではありません。サッカーが大好きで亡くなった息子のかわりに無我夢中でボールを追いかける姿。いつまでもしたばかり向いてはいられないと走り抜ける姿。生きている者が、できることで頑張る。「サッカーで高田を元気に!!」けがもなく無事終了。
サッカーボランティア班と別行動で、仮設ボランティアは、仮設の中で病と過ごす家族を訪問しました。
震災後、がんと向き合い仮設で闘病するご主人と、最近体調を崩し心臓疾患を抱える奥様。
私たちは医療者ではないので、病を治すことはできませんが、小さな声に耳を傾け、心に寄り添い、ともに考える事に徹しています。
同行したケアマネジャーとともに様々な方向性をさぐりながら語りの時間を過ごしました。
人はそれぞれ、様々な環境や事情をかかえ生きています。
同じ帰り際、奥様が「生きて待ってるから、また来てくださいね・・・」と、
手を握り、私たちの車が見えなくなるまで外で手を振ってくださいました。
かわりゆく被災地に私たちはどこまでも関わりたいのです。