4月29日被災地サロン報告

2012年5月 3日

報告者 事務局長 吉島美樹子

4月29日(日)晴

【訪問先】岩手県:陸前高田市

上壺仮設住宅&壷沢地区住民(50世帯・200名程度)

 

【ボランティア内容】参加者10名

タオル帽子づくり&お茶っこ会

持参物資:タオル類、衣料、エプロン、卵

炊き出し:せんべい汁、五目おこわ、卵焼き、お汁粉、コーヒー、お菓子

 

【ボランティアの様子】

以前お世話になった、上壺の区長さんに電話で「4月29日に訪問していいですか?」と尋ねた時、一拍おいて「いいですよ」と、お返事を頂いたのがどこか気になっていました。訪問3日前、区長さんから電話が入る。もろもろ打ち合わせの後「実は、29日は、息子の葬儀から一年目の日なのです。私が一日悲しみに暮れないように息子がホスピスさんを呼んだよなきがします」。三代で畳屋を営み、25歳の長男は震災当日、消防団で市営体育館前の避難誘導に向かい帰らなかった・・・。

 

当日の帽子づくりは10人程度と言われていた。しかし、予定時間前から車で近隣の方々が集まって来る。区長さんもビックリ!帽子づくりは40名、終わってからのお茶っこ会では、地元の人が、漬物やワサビ菜など差し入れしてくれる和やかさにつつまれた。

途中、陸前高田災害ボランティアセンターにコーヒーのサービースに出かけた。今日のボランティア数は500名とのこと、昨年の半分以下に落ち込んでいる・・。

 

震災から一年が過ぎ、被災地は瓦礫の撤去も進み、高台への移住、公共施設の再建などが進んでいる。一年前、私たちが災害現場で見たものは、被災者でありながら不眠不休の過酷な任務に当たった、自治体職員、消防団。全国から結集した自衛隊、警察などでした。被災地復旧の主力となった自衛隊の活動は、捜索、救助、遺体処理、瓦礫撤去、医療、給水、食料、入浴など、底なしの不幸にある被災者をどれほど救った事でしょう。

また、震災対応に遅れが見られる政治不信の中でも、被災者がこれまで踏ん張ってこれたのは、全国から損得ナシに駆けつけた何10万人もの名もなきボランティアの支援だと確信しています。

今回の震災で、本当に沢山のものを失いましたが、一方で目に見ぬかけがえのないものも得ました。現地に足を運んだ方だけではなく、被災地に思いを寄せて頂いた全国の方々が一滴の水となり源泉を湧きおこし思いが届いて来ています。

私には、闘病と震災と重なり合う思いがあります。この時代に生かされた者、残された者として体験や教訓を次の世代にリレーする生き方が、生きたくとも生きる事の出来なかった多くの犠牲者への一番の供養だと思い、被災地へと向かいます。

 

区長さんが最後に、「今日はいい一日でした。息子も喜んでくれていると思います」とつぶやいて空を見上げた・・。P1030663.JPG